"まだ"なんちゃって坊主

まったりと仏教に関すること、また体験談などを書いていこうかなって思って始めたやつです ※僧侶のイメージ崩壊するかもしれません!もっと親しんでもらいたい!『僧侶=近寄りづらい』をなくしたいと思ってます

新社会人に告ぐ!!経験を積むための上司との円滑なコミュニケーションのコツ

仕事をしているとどうしても好きになれない上司、先輩にあたる方いたりすると思います。

そういうのがなく仲良くできればいいのですが、やはり人と人ですので意見の食い違いや説教、指導の仕方によって反発が起きてしまいます。

 

さて、ではどのように接すればいいのか、どのように回避していけばいいのかをお話したいと思います。

これは私が経験してきた上でのお話です。その場、その人によって捉え方は違いますので「頭の片隅にでも覚えていよ」くらいの気持ちでお読みください。

 

社会人となり新しい職場に入るのはとても不安ですよね、それは当たり前のことです。

なぜなら

「経験したことがないから!」←とても重要なので覚えておいてください

なんですね。

 

何事も経験不足な時は不安になります、先輩たちも同じ道を辿ってきているのは確かなことです。

人間は完璧ではないので仕事をしていればいつかミスは起きてしまいます。そこで先輩に怒られると思います、この時に自分はどう受け止めるかが大事です。

基本的に怒る人は自分の経験してきたことからでしか怒れません。

なぜなら自分が間違いを経験しているから、または何度もその仕事に携わってきているからミスがわかるのです。対処法もわかる人ならわかります。

 

ミスが増え叱られるのが多くなると

「叱られて嫌だな」「またこの人グチグチ言ってくるんだろうな」「うるせーなー」「うぜー」「きもちわるい」

様々な感情、思いになると思います。

でもそういう経験を乗り越えていくことが社会人にとって大事な経験となります。

学生と違い様々な責任を負わなくてはいけなので先輩たちも自分の仕事をしつつ下の人を指導しなくてはいけないので必死です。

中には教えるのが下手くそな方、理不尽な方もいると思います。

それでも最初は何でも吸収しなくてはいけません、するとどうでしょう!

仕事に慣れてきた頃には何が大事で何が悪いのかわかってきます。

教えるのが下手くそな方でも言いたいことがわかるようになる。

理不尽な方の意見は必要な部分だけ取り込み、無駄な部分を切り取ることができるようになります。

 

ここまで読んで意識しなくてはいけないとこを最後にお伝えします。

それは

コミュニケーションをとる!

お互いに利益になるのはコミュニケーションをいかに取るかです。

人によってはコミュニケーションを取るのが苦手という方もいると思います。それは経験して慣れるしかないです。

今までは会話がなくても成り立っていたことが、会社では自分一人だけのことではなくなるのでいかに会話をするかが大事になります。

 

話すのが怖い→これから何十年先の自分のため勇気をもってください!1人では限界がきます。
この人嫌いだからそもそも話したくない→大人になってください。いつまでも学生、子供ではないです。いい加減社会人として自覚を持ちましょう。

もし疑問があった場合すぐに上司に確認を取ることが大事です!!

「後にしてくれ」と言われようが「そんなこともわからんのか?」と言われようがイライラしながらでも必ずその疑問は解決しなくてはならないのです。

もしかしたらその疑問が解決することで会社への貢献に繋がるかもしれない、自分にも自身がつくかもしれないと、または何も起こらないかもしれない

何が起こるかはわかりませんがやらないよりはやってみたほうが面白いのではないのでしょうか?

 

あとはコミュニケーションを取らずにSNS.YouTubeなどの情報だけで相手を理解しようとする、わからせようとすると間違った解釈を勝手にしてしまいます、経験をしていないのに「私の言葉考えがあってますよね?」という間違った状態で話さないといけなくなります。

なにがあろうとその仕事場での経験値、社会経験というものは先輩が絶対に上です。

まずは人の話を聞いて実践し経験してはいかがでしょうか?

 

人間関係を築き上げるのは大変です。

上司もなんとかしようとする気持ちはあってどうしても強くあたってしまったり、後輩と仲良くしようと必要以上にはなしかけてしまいがちです。

できればそれに付き合ってあげてください

なんだかんだでその先輩の話しが役に立つときがあります。その先輩が話していることは更にその先輩が教えたことばだったりします。

ということは代第受け継がれてきた大事な言葉だったりするのですね!

それをまたあなたが上司になった時に受け継ぐ必要があります。

最初は大変だと思いますがどうか!どうか経験を積むまではコミュニケーションをとりたくさんのことを吸収してみてください。

 

 

 

 

思いやりの力で被災者を支える

新年明けましておめでとうございます。

当ブログを読んでくださる皆様今年もよろしくお願いします。

 

さて、新年早々ですが能登半島地震にて死者73名(令和6年1月4日現在)、行方不明多数、地震での建物崩壊、液状化現象等、多くの不安や困難な生活が被災者を苦しめる状況です。

避難所にも想定以上の定員が入り、毛布なども足りていないと聞きました。

心よりお悔やみ申し上げるとともに、また皆様の笑顔が戻り、県の復興をお祈り申し上げます。

また2日には海上保安庁の航空機と日航機が衝突炎上し、海保機の男性5人が死亡した事故も起きています。

詳しいことはここでは書きませんが、どちらにせよ助けたい気持ちが前に出すぎていて冷静な判断ができずに機長と副操縦士の認識に相違が生まれたのだと思います。

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災難に逢う時節には災難に逢うがよく候

死ぬ時節には死ぬがよく候

これはこれ災難をのがるる妙法にて候

この言葉は江戸時代の曹洞宗僧侶

良寛の言葉です。

江戸時代(1828年)新潟地方に1500人もの犠牲者を出す大地震が起こりました。

幸い良寛は無事でしたが、親友である酒造屋の山田杜皐の子供が亡くなりました。

その際に良寛が杜皐へ送った見舞いの手紙の一文です。

 

訳すとこういう意味になります↓

「災難に逢う時には災難に逢う、死ぬ時には死ぬ、これが災難から逃れる方法である」

子供が亡くなっているのに、労いの言葉ではなくこういう言葉を贈るのは少し冷酷非道ではないか?と思われるかと思いますが、そんなつもりで書いてるわけではないと思います。

人は慌てると冷静な判断ができなくなります。

物事に逆らわず何事も腹を決めて受け入れることで、心が休まり前を向くことができるのだと思います。

そして、心を決め!一生懸命に生きて!冥福を祈る!手を合わせる!

こう言いたいのではないかと思います。

 

生きていること、無事であることというのはとてもありがたいことです。

このありがたみは、何か起こったときにしか実感ができない忘れてしまうもの、滅多に起きないものです。

何かできることがすこしでもあれば手を差しのべてあげてください。

 

ekyoosyomondou.hatenablog.jp

 

ヤフーの能登半島支援募金のリンクを貼りました。

少しでも被災地の力になれたらと思います。

donation.yahoo.co.jp

【百不当】困難から逃げずに立ち向かえ!!

いまの一当は むかしの百不当のちからなり 百不当の一老なり

今回は「百不当(ひゃくふとう)」という言葉についてお話ししたいと思います。

これは道元禅師様のお言葉です。

「弓で的を当てようとするが一向に当たらない、しかし何度も何度も練習してやっと当てることができた。」

その一当はこれまで一生懸命に練習してきたが当たらなかった百当のちからである。

一老は歳を重ねることではなく、修練を重ねるという意味である。

数打ちゃ当たるではありません!!

努力を重ねたがゆえの結果です。

そこには無駄な努力など1つもありません。

何度も試行錯誤してもうまくいかない状況を指し、多くの方が経験することかもしれません。

学生や社会人であれば、新しい挑戦や目標に向かって努力する中で、遭遇することもあるかもしれませんね。



学生へのアドバイス

学生の皆さんにとって、「百不当」は課題や試験、将来の進路において現れるかもしれません。

しかし、挫折や困難に直面した時こそ、自分の強みや興味を見つめ直すチャンスです。

達成感を味わえる小さな目標を設定し、一歩一歩前進していきましょう。

 

社会人へのアドバイス

社会人にとっても、「百不当」は新しいプロジェクトやキャリアの変革において現れることがあります。挑戦を諦めず、失敗から学ぶ姿勢が重要です。

同僚や上司とのコミュニケーションを大切にし、チームワークによって困難を乗り越えましょう。

まとめ

「百不当」は誰にでも訪れる試練ですが、それを乗り越えることで成長や新たな発見があります。

ポジティブな考え方と努力を惜しまない姿勢を持ちつつ、困難に向き合っていくことが大切です。

挑戦を恐れず、自分自身と向き合いながら、未知の可能性に挑戦していきましょう!

努力で未来を勝ち取りましょう!!!

 

【慧可断臂】達磨大師と慧可の覚悟

禅の歴史には、悟りを求める修行者たちの深い覚悟と智慧に満ちた物語が数多く存在します。

その中でも、達磨大師と慧可の断臂のエピソードは特に印象的です。

 

達磨大師の足跡

達磨大師(だるまだいし)は、仏教の禅宗創始者とされています。

6世紀初頭に中国で活動した僧侶で、インドから中国に渡り、禅の基礎を築きました。

達磨は、修行において坐禅が重要だと教え、身心の修行を通じて悟りを追求することを強調しました。

達磨は、禅の祖師として尊敬され、多くの禅僧たちが彼の教えを受け継ぎました。

道元禅師もその1人です。

 

達磨大師はお釈迦様から数えて第28代目になります

インドから中国(震旦)に渡り、そちらでは初祖になります。

この後出てくる達磨大師の弟子である慧可は2祖になります。

 

慧可の断臂の覚悟

達磨大師少林寺の壁に向かって9年間の坐禅修行をしているときです。(面壁九年といいます)

インドから高僧がやってきたと聞いた慧可はぜひ達磨大師の弟子になりたいと訪ねに行きましたが、一向に反応がありません。どれだけ挨拶しても返事がない、何度訪ねても何度訪ねても返事がない

ある日「インドの僧なので言葉が通じないのかな?、いや試されているのだ!」と思った慧可は一晩中立ち尽くしていました。

その日は雪が降っており気づけば膝の高さまで雪が降り積もっておりました。

そこで慧可は自らの覚悟を試すために驚くべき行為に出ました。

自分の左肘をを切り落とし、それを達磨へ差し出したのでした。

その覚悟を見た達磨は慧可を弟子にいたしました。

 

断臂(だんぴ)の象徴

断臂:臂(ひじ)を断つ

この断臂の行為は、禅の修行者たちにとって強い印象を残しました。

慧可断臂図


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私達にこのような真似ができるのであろうか、どれだけ手に入れたいものがあったとしてもここまで危険な行為に手を染めるのはとても難しいことです。

何のために修行をするのか、何のために今を生きるのか、自分のため?みんなのため?

今一度自分自身に問いただしてみるいい機会でもあります。

さすれば肘を切り落とさなくてもよくなるかもしれませんね!

 

永平寺ではこの故事に習い

お釈迦様がお悟りを開いた12月1日から8日まで臘八摂心を行った後、

慧可が臂を断ち達磨の弟子になった12月9日の夜から10日まで断臂摂心を行います。

 

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そういえば日本では切腹というのがありましたね、あれもまた覚悟を示す行為ですが、、、今回のとは少し違いますね(⁠´⁠ー⁠`⁠)⁠

幸せとは?自分自身ができること変わるべきこと

私が小学生の頃に流行っていた遊びなのですが、黒ナンバーの車を3台見た時3台目の車に対してピースをするとこの後幸せなことが起きる

という遊びをしていました。

小学生らしいかわいい遊びだなと思いますね!

さて生活をしていると様々な困難とぶつかります。

辛い、苦しい、さみしい…………

生きていくうえで辛い、苦しい、さみしいという感情が起こるのは当たり前のことですが、これを抱え込みすぎると鬱など精神的な問題を引き起こす可能性があります。

 

「あいつはいいよな」「何で私だけ……」

時折、他の人が幸せそうに見えることがありますが、他人の幸福と自分の状況を比較することは、自分自身を不幸せにする原因となります。

人生は異なり、幸福の形も異なります。

他人と比較せず、自分自身に焦点を当て、自身の幸福を見つけることが大切です。

 

ではどのようにして幸福を見つけていくかですが

・新しい目標を作る

・環境をガラッと変える(海外に住むなど

と文章では簡単にいいますが実際に行動できるかというと難しいです。

 

そもそも幸福って言うのは?

夢が叶うのが確定した"瞬間"だと思います。

受験、恋愛、就職、食事、仕事、家事、遊びなんでもです。

 

例えば:

甘いものが食べたい→店を探す→甘いものを食べる(この瞬間!!)

→それ以降に幸せは??

 

また同じことの繰り返しです。

欲求を満たしたその瞬間だけが幸せなのです。

常に幸せというのは基本ないと思います。

 

 

ここで気をつけなくてはいけないのが、その幸せのための夢が大きくなりすぎてそれが達成できずに自分を追い込んじゃうことなのです。

 

そのためには身近にあるもので幸福を得られるものを見つける。

また「幸せなことが起こるかも」という思い込みによる自己肯定感の向上が大事ということです!

今が辛いときは環境を変えてみるのが1番です。

1人では難しいときは周りの人に素直に助けてもらいましょう。

同じことの繰り返しでは辛いことをまた繰り返しやってきます。

 

幸せを得るためには

どんなに小さなことでも行動し続けることが幸せへのカギだと思います。

 

裕福な人は幸せなのか?貧乏な人は不幸せなのか?

お金を持っていても幸せとは限らない

お金がなくても幸せを感じてる人はいる

 

幸せを持ち続けることはできません、常に何かをするなにか目標に向かって行動を起こす

 

今一度自分自身に焦点を当ててみてはいかがでしょうか?

 

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【日日是好日】幸せな人生を築く鍵

 日常生活は私たちの幸福感に大きな影響を与えます。しかし、幸せは時に外部の状況や出来事に左右されがちです。

今回は「日日是好日」を通じて、毎日を喜びに満ちたものとし、ポジティブな姿勢を持つ方法について探求してみましょう。

 

日日是好日」(にちにちこれこうにち)

「毎日が素晴らしいかけがえのない1日である」という言葉です。 

日常生活をポジティブに捉え、感謝の気持ちを持つことの大切さを教えてくれます。

 

1困難な瞬間にもポジティブな視点を

人生には困難や試練がつきものです。しかし、「日日是好日」の教えを心に刻み、どんな状況にもポジティブな視点を持つことができれば、逆境を克服する力が湧いてきます。

困難がチャンスに変わることも少なくありません。

 

2日常の小さな幸せを見逃さない

幸福は時に小さな瞬間に宿ります。

日常生活の中で、美しい景色、笑顔、友情など、小さな幸せを見逃さないように心がけましょう。

これらの瞬間が、私たちの日々に豊かさをもたらします。

 

3感謝の習慣を育てる

日日是好日」を実践するために、感謝の習慣を育てましょう。

毎日、何か一つ感謝することを見つけることで、心が豊かになり、ストレスや不満から解放されます。

 

まとめ

美味しいご飯を食べた!友達と一緒に楽しんだ!仕事でミスをした、嫌なことがたくさんあった、身内が亡くなった…

楽しい事ばかりを見ようとせず、辛いこと悲しいことも受け入れながら1日1日を大事に生きてみましょう。

日日是好日」の言葉は、私たちに日々の生活を前向きに捉え、感謝と幸福を見つける方法を教えてくれます。

逆境を乗り越え、小さな幸せを大切にし、感謝の心を育てることで、私たちは幸せな人生を築く鍵を手に入れることができます。

 

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『般若心経』から学ぶ:豊かな生活を手に入れるための「空」とは何か

『般若心経』は、仏教の中でも皆様が一度は聞いたことがあるくらい有名なお経の一つです。

 

この経典の始めに

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空

観音様が修行中に五蘊(色、受、想、行、識)がすべて空であることを見抜いたとあります。

五蘊は身体、感情、行動、認識など、私たちと世界を形作る要素であり、それらが空である。

 

では「空」(くう)というのは何を意味するのでしょうか?

 

「空」(から)という言葉は、漢字的には「何もない」状態を表すことがありますが、ここでの「空」(くう)は実体がないという意味です。

つまり、実際には存在しないけれども、私たちの生活には欠かせないもの、例えば数字の0や空気のようなものです。

この教えからわかるのは、現実には固定した実体がなく、私たちの認識や捉え方によって物事の姿が変わるということです。

 

人は物事に執着し、欲望を求めますが、『般若心経』の教えはその執着や欲望から解放され、「空」(くう)の考え方を受け入れることが、より豊かな生活を手に入れる一歩だと言えます。

物事にこだわらず、柔軟な心で受け入れ、固定概念にとらわれないことが、内面の平穏と幸福に繋がるのです。

 

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『般若心経』の教えから学んだとおり、「空」とは何ものにもとらわれないこと、こだわらないことが大切です。

執着や欲望から解放され、柔軟な心で物事を受け入れることで、より豊かな生活と内面の平穏を実現できるでしょう。