禅の歴史には、悟りを求める修行者たちの深い覚悟と智慧に満ちた物語が数多く存在します。
その中でも、達磨大師と慧可の断臂のエピソードは特に印象的です。
達磨大師の足跡
達磨大師(だるまだいし)は、仏教の禅宗の創始者とされています。
6世紀初頭に中国で活動した僧侶で、インドから中国に渡り、禅の基礎を築きました。
達磨は、修行において坐禅が重要だと教え、身心の修行を通じて悟りを追求することを強調しました。
達磨は、禅の祖師として尊敬され、多くの禅僧たちが彼の教えを受け継ぎました。
道元禅師もその1人です。
達磨大師はお釈迦様から数えて第28代目になります
インドから中国(震旦)に渡り、そちらでは初祖になります。
この後出てくる達磨大師の弟子である慧可は2祖になります。
慧可の断臂の覚悟
達磨大師が少林寺の壁に向かって9年間の坐禅修行をしているときです。(面壁九年といいます)
インドから高僧がやってきたと聞いた慧可はぜひ達磨大師の弟子になりたいと訪ねに行きましたが、一向に反応がありません。どれだけ挨拶しても返事がない、何度訪ねても何度訪ねても返事がない
ある日「インドの僧なので言葉が通じないのかな?、いや試されているのだ!」と思った慧可は一晩中立ち尽くしていました。
その日は雪が降っており気づけば膝の高さまで雪が降り積もっておりました。
そこで慧可は自らの覚悟を試すために驚くべき行為に出ました。
自分の左肘をを切り落とし、それを達磨へ差し出したのでした。
その覚悟を見た達磨は慧可を弟子にいたしました。
断臂(だんぴ)の象徴
断臂:臂(ひじ)を断つ
この断臂の行為は、禅の修行者たちにとって強い印象を残しました。
慧可断臂図
私達にこのような真似ができるのであろうか、どれだけ手に入れたいものがあったとしてもここまで危険な行為に手を染めるのはとても難しいことです。
何のために修行をするのか、何のために今を生きるのか、自分のため?みんなのため?
今一度自分自身に問いただしてみるいい機会でもあります。
さすれば肘を切り落とさなくてもよくなるかもしれませんね!
永平寺ではこの故事に習い
お釈迦様がお悟りを開いた12月1日から8日まで臘八摂心を行った後、
慧可が臂を断ち達磨の弟子になった12月9日の夜から10日まで断臂摂心を行います。
そういえば日本では切腹というのがありましたね、あれもまた覚悟を示す行為ですが、、、今回のとは少し違いますね(´ー`)