この前法事に行ったときの話です
お経のあとお話をしておりますと
「無になることは難しいですね」
と言われました。
どんだけ頭の中を空っぽにしようとしても、どうしても考えてしまう
そんな中坐禅をしている僧侶はすごいとおっしゃてくださいました。
そこで私は「放下著!!」とその家族へお話しました
唐時代の中国の問答です。
趙州という僧侶にある修行僧が尋ねてきました
修行僧:「修行の末、私は何もかもを手放して、今はもう何も持っておりませんこれからどうすればよろしいでしょうか?」
趙州:「放下著!!」
修行僧:「いやいや、捨てろとおっしゃいましても、私はもう何も手放すものはない!!何を手放せばいいのですか!?」
趙州:「それでは担いできなさい」
何も持ってないことがそんなに大事なのなら、「何も持ってないということ」を背負っていけというのです。
その「何も持っていない」「捨てた」という思いがあるうちは執着する心を捨てれていないと言っているのです。
放下著(ほうげじゃく)
放下
手放す、投げ捨てるという意味を持ちます。
著
命令の意味を表します。
つまり、「投げ捨ててしまえ!!」という意味です。
また「放っておけ!!」とうい意味で捉えていただいても良いかと思います。
修行において「放下著」の実践が重要視されます。
これは、物事に執着せず、ありのままの現実を受け入れることや、過去や未来に囚われずに現在を生きることを意味します。
心の中の雑念や執着を取り除き、真実や自己の本質を見つけるために「放下著」を実践します。
日常生活の中での「放下著」の実践としては、物事に固執せずに柔軟に対応することが挙げられます。
例えば、予定が変更されたり、思い通りにいかないことがあった場合に、イライラやストレスを感じずに、現状を受け入れ、対応することが大切です。
「放下著」は、禅の言葉の一つとして広く知られており、禅の教えを実践する者にとって重要な指針となる言葉です。
これを実際の生活に取り入れることで、心の平穏や自己の成長につながるとされています。
まとめ
放下著を通じて、執着や欲望によって引き起こされる苦しみを取り除き平穏を追求する道を歩むことができると思います。
しかし、禅の実践は個人の経験に依存するものであり、人それぞれの体験や理解が異なる場合もあります。
禅の体験は個人のものであり、人によって異なることを念頭に置いてください。