私たちは日々、さまざまな人と出会い、関わりながら生きています。
家族、友人、同僚、ご近所さん……。
縁があるからこそ支えられ、学び、喜びを感じることができる一方で、時には「この人との関係、つらいな」「どうしてわかってもらえないんだろう」と感じることもあります。
そんなとき、仏教は私たちに一つの視点を与えてくれます。
縁とは「偶然」ではなく「必然」
仏教では、すべての出会いや出来事は「縁」によって成り立っていると考えられています。
縁とは、原因と条件が重なり合って起こる現象のつながりのこと。
つまり、今目の前にいる人との関係も、何かしらの理由があって生まれた「結果」なのです。
しかし、「すべての縁が永遠に続くわけではない」というのもまた仏教の視点です。
「縁を大切にする」と「縁にしがみつく」は違う
よく「ご縁を大切に」と言います。
これはとても素晴らしいことですが、「どんな縁も手放してはいけない」と思い込んでしまうと、自分を苦しめることになります。
たとえば、自分を否定し続ける人、他人の話を一切聞かない人、自分勝手な振る舞いで周囲を振り回す人…。
そうした人との縁を「我慢してでも保たねば」と思ってしまうと、心がすり減ってしまいます。
振り回されず、冷静に物事を見る力のことを「智慧(ちえ)」と説いています。
縁を選ぶのは、冷たさではなく智慧
ときには、関係を続けることよりも、離れること、距離を取ることのほうが慈しみにかなうという場面もあります。
それは相手を裁くためではなく、お互いの心が乱れないようにするための選択です。
仏教の「中道(ちゅうどう)」という考え方は、極端に執着することも、突き放すこともせず、バランスの取れた道を歩むことの大切さを教えています。
だからこそ、縁を選ぶことは逃げでも、冷淡でもありません。
今の自分にとって、そして相手にとっても、その距離が最も穏やかであると見極める、それこそが「智慧」の働きなのです。
自分を責めないこと
縁を手放したり、距離を置いたりすると、どこかで「自分が悪いのでは」と思ってしまうこともあるかもしれません。
でも、心を守ることは決してわがままではありません。
むしろ、自分の心を整えていくことが、他者への思いやりにもつながっていきます。
すべての縁に感謝しつつ、今必要な縁を選ぶ。
それは、仏教が教える智慧のかたちのひとつなのです。