【自灯明・法灯明】迷いを照らす灯り
2月15日
お釈迦様が亡くなられた日です。

多くの寺院では涅槃図(お釈迦様の亡くなられた様子の絵)をかけて涅槃会法要をお勤めいたします。
また、お釈迦様の恩に報いる為に永平寺では2/1〜2/8まで報恩摂心を行い朝から晩まで坐禅三昧の修行をいたします。
今からお話するのはお釈迦様とその弟子阿難尊者の最後の物語
自灯明・法灯明
お釈迦様が亡くなる直前、弟子の阿難尊者は
「これからは何を頼りにすれば良いのでしょうか」
とお釈迦様に聞いたところ
「私はこれまで多くの人に分け隔てなく法を説いてきた。お前はそれを聞いているのだからそれを頼りにしなさい」
とお釈迦様は答えました。
今までお世話になっていた方がいなくなるかもしれないという不安と悲しみは計り知れないものかと思います。
それは阿難尊者も同じというわけですね
さて、自灯明・法灯明という言葉ですが
自らを灯明とし、法を灯明としなさい
という意味になります。
灯明とは仏様の智慧
法とはお釈迦様の教えになります。
お釈迦様が亡くなってからも、その教えは私たちの灯りとなります。
お釈迦様がいなくなっても、自身の智慧を灯し、法を拠り所にして精進しなさい。
その結果出来たのがお教本というわけですね!!
当時は紙やボイスレコーダーなるものはなかったと思います。
ですのでお釈迦様の教えを忘れないように何度も何度も繰り返し読んでは、他の民に聞かせ、阿難尊者は修行の後悟りを開かれました。
ちょっとした体験談
この話を聞いたときに自分も似たような経験があるなと思いました。
永平寺での修行中にお世話になっていた人がおりました
わからないことがあれば聞きに行き教えてもらう日々を送っていたある日
お世話になった人は任期を終え、自分のお寺に帰って行きました。
その時私も同じようにこれからどうしようと思ったいたが、教わった事をメモしたノートを読み返し、その人に教わったものを自分自身で考え行動していたなと思い出しました。
自らを灯せ、法を灯せ
人を頼りにするのはとても大事なことではありますが、いつか必ず別れはあります。
そんな時に大事になってくるのが、その人の肉体ではなくその人が言っていた教えです。
仏教では仏法を拠り所にして生きていくことで、よりよい生活を育むことができるはずです。
困難な時代だからこそ仏法を信じ迷いを乗り越えていきましょう!

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