"まだ"なんちゃって坊主

まったりと仏教に関すること、また体験談などを書いていこうかなって思って始めたやつです ※僧侶のイメージ崩壊するかもしれません!もっと親しんでもらいたい!『僧侶=近寄りづらい』をなくしたいと思ってます

ご先祖様への感謝 ー過去からの贈り物ー

いきなりですが、今自分が置かれている立場は自分の力だけで手に入れたと思ってはいませんか??

 

これは私が修行中に怠けていた際に老師に怒られた事がありまして、その内容には

「あなたが今まで生活できてきたのはほとんど親のおかげだからな!多少は自分の努力もあるかもしれないが、ほとんどが親であったりそのご先祖様方の努力に支えられてるんだぞ!その上にあなたがのうのうと突っ立てるだけなんだからな!親たちの努力を無駄にするな!感謝しろ!」

聞いていれば当たり前のことなんですが、言われないと忘れてしまうんだな、気づけないんだなって思ったんですね。

 

ご先祖様たちはより良い社会にしていくために長い時間とエネルギーを注いできました。

私たちが快適な生活を送ることができるのは、先祖たちが築き上げた基盤の上に立っているからです。

彼らは農耕や建設、科学的な発見など、数々の努力を積み重ねてきました。また、戦争や困難な時代を乗り越えるために、犠牲を払ったこともあります。

私たちは彼らの努力と犠牲に対して感謝の気持ちを忘れてはなりません。



しかし!!

私たちは日常の忙しさや個人の成果に埋もれて、感謝の念を忘れてはいませんか?

そこで、仏教の教えから感謝は謙虚さを育む重要な要素であることが分かります。

 

感謝

感謝の心を持つことで、自分自身がどれだけ周囲の人々や先祖たちの支えを受けて生きているかを認識し、謙虚な態度を保つことができます。

謙虚

謙虚さは、私たちが自分の成果や成功を過大評価することを避け、他人に対しても尊敬や思いやりを持つことができる心の姿勢です。

 

感謝の心と謙虚さが結びつくことで、私たちは協力し合い、共に成長する社会を築いていくことができるでしょう。

 

そして

「自分で勝ち得たものではない」という考え方は、仏教の教えにおいても共通する要素です。

仏教では、無我(むが)や縁起(えんぎ)の概念を通じて、個人の存在や成功に対する謙虚さを教えています。

 

無我と縁起

無我とは、個人の自我や執着を超え、一切の存在が相互依存的であるという理念です。

私たちが持つ身体や才能、教育の機会、環境などは、他者や先祖、社会全体との関係や縁によって支えられています。

自分自身の努力や選択だけでなく、無数の縁や縁起が絡み合って私たちの生活が成り立っているのです。

 

そのため、謙虚さと感謝の心を持ちながら、自分自身の成果を過大評価せずに生きることが重要です。

 

また、無我の考え方から、自己中心的な欲望や執着にとらわれず、他者や社会の利益を思いやることも大切です。

私たちは互いに依存し合っており、他者の幸福や利益を追求することが、真の豊かさや喜びを実現する道となります。

このような考え方を念頭に置きながら、自分自身の努力を惜しまずに生きると同時に、ご先祖様や社会への感謝と思いやりを忘れずに行動することが大事なのではないかと思います。