"まだ"なんちゃって坊主

まったりと仏教に関すること、また体験談などを書いていこうかなって思って始めたやつです ※僧侶のイメージ崩壊するかもしれません!もっと親しんでもらいたい!『僧侶=近寄りづらい』をなくしたいと思ってます

【お彼岸】感謝の心を込めて

「暑さ寒さも彼岸まで」とよく言ったものですが、やはり3月中旬頃になると暖かくなってくるものですね。

 

春彼岸

春のお彼岸は「春分の日」を「お中日」として前後3日を合わせた7日間のことをいいます。

この時期になるとお墓参りやお寺では春彼岸法要などが盛んに行われています。

 

さて、仏教の行持といわれますとやはりお釈迦様やインド、中国で行われていたものが日本へ伝えられてきたものが多くございます。

ですが、このお彼岸に関しては違います。

 

インドでは行われていないのですね

では中国?

中国にもそんな記録はありません!!

 

つまりお彼岸というのは日本独自の仏教行持というわけであります。

 

ではなぜ日本でお彼岸が生まれたのでしょうか?

※以下諸説あり

 

日本では昔より米や野菜などの農耕が盛んに行われております。

それらを育てるには大自然の力、とくに太陽の恵みが重要です。

ですので、昔の人は太陽に感謝をし豊作の祈願をしていたといわれております。

 

とくに春分の日秋分の日は太陽が真東から昇り、真西へと沈んでいきます。

昼夜の時間が同じになるこの年に2回に関してはとくに自然に対する感謝の気持ちを捧げていました。

 

その感謝をする気持ちが仏教と結びついたと言われております。

 

今では仏菩薩様、ご先祖様への報恩感謝をする期間となっております。

お彼岸の時期にはお参りをし、日頃の感謝をすることが大切です

しかしお参りを一度したからといって、そこで終わってしまっては何も意味がありません

 

私達が今現在過ごして行けているのは諸仏諸菩薩様、ご先祖様方のお陰であります。

 

お彼岸参りに限らず仏菩薩様、ご先祖様には日頃から感謝を込めて日々をお過ごしください。

お彼岸のお供え物

春は「ぼたもち(牡丹餅)」秋は「おはぎ(お萩)」これらをお供えするのも春は「牡丹」秋は「萩」とその時期に咲く花に由来しているものだからと言われています。

ちなみに「牡丹餅」はつぶあんで、「お萩」はこしあんです。

皆様はどっち派ですか?

私はどっちも好きです!!

 

 

お彼岸については以前にもお話しておりますので、よければこちらの記事もご覧ください。

 

ekyoosyomondou.hatenablog.jp

 

 

ekyoosyomondou.hatenablog.jp

 

 

 

 

お施餓鬼の起源:餓鬼道の救済とご先祖様供養

お施餓鬼とは?

お施餓鬼(施食会ともいう)は、仏教の儀式で、餓鬼道にいる苦しい衆生に供養して、成仏を願い、同時に施主自身の功徳を積むことです。

餓鬼に食を施す法要です。

 

仏教の世界には六道といわれるの六つの世界があります。

 「地獄(じごく)」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」「修羅(しゅら)」「人間(にんげん)」「天上(てんじょう)」

 

餓鬼というのは常に飢えと乾きに苦しみ、腹は膨れあがり、のどは針のように細く、食物、飲物を手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされる事がない場所です。



お施餓鬼会の内容

  • 供養する対象:餓鬼道にいる衆生また三界万霊(ありとあらゆるもの)
  • 目的:餓鬼道の苦しみから救う
  • 時期:年中行われるが、お彼岸とお盆の時期が盛んに行われる
  • 内容:経典の読経、供養物(食べ物・飲み物)の供養、法話など

お施餓鬼の起源

お釈迦様の十大弟子の一人に阿難尊者がいました。

多聞第一といわれ、お釈迦様の教えを多く聞いていました。

ある日、阿難尊者は一人で坐禅をしていると、突然目の前に餓鬼が現れました。

餓鬼は「阿難よおまえは、3日のうちに死ぬ。そして、我々と同じ餓鬼道に堕ちるだろう。」と告げました。

恐れおののいた阿難尊者は、お釈迦様に救いを求めました。

すると、お釈迦様は「明日までに無数の餓鬼に飲食を布施し、仏法僧の三宝を供養すれば、無数の餓鬼も救われ、その功徳でお前の寿命ものびるだろう。」とお答えになりました。

翌日、阿難尊者は餓鬼に食べ物や飲み物を施し、経典を唱えながら供養を行いました。

(経典の無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼をお唱えすることにより食事が無量に増え餓鬼道の者へ行き渡ったと言われている)

すると、餓鬼は消え、阿難尊者の寿命は延びました。

 

この話は、餓鬼道に堕ちた衆生を供養することで、救うことができるという教えを伝えています。

また、お施餓鬼を行うことで、施主自身が功徳を積むことができるという教えでもあります。

まとめ

お施餓鬼は、餓鬼道にいる苦しい衆生に供養することで、救いを与えることができる仏教の儀式です。

また、施主自身が功徳を積むこともできます。先祖供養を大切にし、お施餓鬼を行いましょう。

 

どちらも起原の話に餓鬼が出てくる為、お施餓鬼とお盆を一緒にしてしまう方がいますが別物ですのでお気をつけ下さい。

お盆の起原について貼っておきます。こちらはお釈迦様の弟子の一人目連尊者の話です。

ekyoosyomondou.hatenablog.jp

 

修行僧になる前に気をつけること5選

春に向けて新しく修行に行かれる方が多いと思います。

修行に行く人は様々な思いを持っていかれるのではないでしょうか?

「家がお寺だから仕方なく」「親が言うから」「立派な僧侶になるぞ!」

十人十色様々な思いがあるとおもいます。

そして修行に行く前にはいかに遊ぶか!!ってのも考えてたりするのではないでしょうか?

ですが、遊びまくっていた場合修行に行ってから最初の期間がとても大変になります。

 

そこで!!

修行僧になる前にご自宅にてできること5選お伝えいたしたいと思います。

 

1.お教を覚えろ!

まずは何と言ってもお教を覚えておいたほうがよろしいです。

修行に行ってからでも覚えれますが、はじめの頃は覚えることがたくさんありすぎるのでそれどころではありません。

少なくとも「般若心経」「大悲心陀羅尼」「世尊偈」「舎利礼文を覚えておくと良いでしょう!!

というより絶対に良いです!!

「参同契・宝鏡三昧」「五十七仏」「寿量品偈」「甘露門」「修証義」「仏頂尊勝陀羅尼」まで覚えておくと尚良し!!

 

はっきりいいますが、在家の方からしたら僧侶はお教は覚えていて当然のことであり、別にすごいことではありません。

ですので早いうちに覚えておくことに損は決してないのです。

 

2.偈文を覚えろ!

偈文とはお教みたいなものですが、こちらは「食事・トイレ・お風呂等」の際にお唱えする文言です。

修行僧堂へ申請書を出すと偈文のプリントをいただけると思います。 

こちらに関しては必ず覚えてください!

修行に行ってからでは遅いです。

しっかりと覚えていきましょう!

 

3.鳴らしものを覚えろ!

時計の代わりに山内の至る所にある「鳴らしもの」の音で行持がすすんでいきます。

こちらも申請書をだすとその順番、鳴らす器物(大梵鐘・木板・太鼓等】などが書かれたプリントをいただけます。

正直全く意味がわかりません!

ですが順番だけはしっかりと覚えておきましょう!

1日の流れが書いてあり、時間帯によってはその音がなった合図で別の音を鳴らしたりと相手に迷惑をかける恐れもあります。

 

また、修行のはじめは皆「鐘舎」に配属されます。

文字のごとく、鳴らしものを扱う寮舎となっておりますので、こちらも必ず覚えておきましょう。

いまではスマホ等で調べることもできるので、わからない文字、器物の形などはそれを見てイメージを付けておくのも良いと思います。

 

4.衣は着れるように!

お寺に住んでる皆様、毎日お袈裟着けておりますでしょうか?

着てないですよね?知っています!!

修行に行けば毎日着るようになります、はじめの頃は着るのにもたついて時間がかかってしまう可能性があります。

少しでもスムーズに着れるように練習をしておきましょう。

 

5.髪の毛を剃る練習をしておくとよい

当たり前ですけど坊主です!!

修行中はバリカンは使えません!

T字のヒゲ剃り🪒を使用します。

今まで剃ったことがないと頭皮も弱いのですぐに切って血が出てしまいます、それがカサブタとなりまた次剃る時にカサブタが切れて血がでるその繰り返しが続く可能性がありますので、もし可能であれば剃る練習をしておいたほうが良いかもしれません。

 

【番外編】

よそはよそうちはうち!

修行僧堂は1つではありません。

2大本山永平寺總持寺静岡県可睡齋、兵庫県安泰寺、愛知県日泰寺等様々ございます。

この何処かで修行をし、また別のところで修行するという方もいると思います。

また駒沢大学には竹友寮があり、そちらで修行をしながら大学を過ごされる方もいると思います。

 

さて上山したら、以前修行した経験があるため同期の方よりかは当たり前ですができると思います。

ですがそこで威張ってしまってはいけません

「前の場所ではこうだった!」「前のとこで教えてもらったやり方でしかやりません!」「前のとこでは、、、」などなど見てる側からしたら惨めです笑

威張れるのも最初だけですので謙虚にいきましょう!そして周りが困っていたら助けてあげる、それが同安居というものです。

 

その場所その場所によってやり方は様々です。

まずはそこのやり方をしっかりと覚えましょう。

 

その後他のところで経験したものが使えればその作法を丁寧にすればいいですし、以前出来なかった事があるなら新しく覚えればいいですし、そこでしか身に付けれないことも様々あります。

今その瞬間を大事に修行に励んでください。

 

集団生活

修行は集団生活です。

人によっては集団生活は苦手だな、、また生活しているとこの人嫌いだなって思うことが出てくる可能性があります。

だとしてもそれを耐えなくてはいけない時があります。それも社会人として、これから何百人と出会っていく中で身につけておかなければいけないことです。

会社にいかず大学を卒業してから修行に行くと社会経験を身に着けず大学生のノリでそのまま生活しがちです。

ですが、それではいつまで経っても子供です!ガキです!!

「俺はこの人が嫌いだから言うことを聞かない」、「俺は集団生活が苦手だから自分一人でやる!」などと言ってるようでは一生成長しないですし、コミュニケーションが取れなければ自分の世界に入って妄想だけが膨らんでいく勘違い野郎が生まれます。

 

相手が嫌いだからと思って生活してる人は相手から逆にあなたのことが嫌いだと思われているっていうことに気づいてください。

「この人は使えない」「この人は言うことを聞かない」「この人は邪魔でしかない」などと思われてしまう可能性があります。

社会人になれば嫌いな人と付き合うこと増えてきます。

学生と違いいつまでも周りが助けてくれるとも限りませんし、自分ひとりで生活するのもとても難しいことです。

周りの支えがあって今の自分があることを今一度考えてみてください。

 

ここは1つ大人になる為の修行ということで

・辛いことでも少し耐えてみる。

・苦手なコミュニケーションを少しずつでも取っていく。

・相手の嫌なとこだけを見るのではなく良いところを見つけてみる。

・自分のためではなく相手のために行動をしてみる。

・自分が嫌なことは相手も嫌である可能性がある。

・上から目線にならない常に謙虚な姿勢、ただし必要とあれば指摘する。

そういう関係になるのも大事です。

 

こういったことを考えながら生活してみるのも良いかもしれませんね!

 

また周りから指摘された際は素直に受け止め改善することも集団生活には大事なことです。

より良い修行ができることを応援しております。

 

 

 

 

 

戒名1文字だけ!?僧侶の在り方を今一度考えさせられます

最近SNSで「戒名1文字5万円!」についての記事を拝見しましたのでそれについて書こうかなと思います。

勝手に記事にしてもよろしいのかと思いましたが、同じ僧侶への注意喚起も含めて記事にさせていただきたいと思います。

 

まずはじめにお伝えすることは宗派、お寺によって考え方の違いはあります。また私自身まだ僧侶としての経験が浅いため、おかしな部分があるかもしれません。あらかじめご了承をお願いいたします。

 

今回の記事ですがデマかホントか、誇張して書いているかは無視します。

詳しい内容が分からない為、実際とは違う可能性もあります。

 

以下内容を簡単にまとめたもの↓

「葬儀をお願いした際、お布施がわからず僧侶に聞いたところ教えてくれず、5万円を包んだところ戒名が1文字だった!(位号もついていなかったそうです)」

ということらしいです。

「そんなふざけたことがあってたまるか!」

「その僧侶は何様だ!」

千と千尋の神隠しやん!」

「逆に考えるの難しいわ!」

って話ですよ!

その後のことはわかりませんが、僧侶に対して悪い印象がついたのは確かです。

投稿主様に対してこの寺院とは関係を絶たれたほうがいいかもしれないというのも同じ僧侶として考えさせられます。

 

今回は僧侶と在家の方に対しての記事になります。

お布施について

まず和尚がお布施について質問されてるのにお答えしないのが問題ですね。

お寺の考えでは金額を提示してしまえばそれはお布施ではなくなってくるので「お気持ちで」といったり「ご無理のない程度で」と言いたい気持ちはあると思いますが、現代ではそれをいったところでわからない人からしたら本当にわからないですし、家族が亡くなって冷静な判断もできなかったり、落ち着かなかったりと、とても状態としてはよろしくありません。

ですので、相手の不安を少しでも和らげるためにここはハッキリと提示してあげるのが現代社会でいいのかなと思います。

また、人生に数回しかない葬儀に関してやり方などがわかるわけがありません、そこをしっかりと教えるのも僧侶としての役割なのではないでしょうか。

 

戒名1文字だけ問題!!

父親の戒名が1文字!!!

これにはびっくりしましたね!

曹洞宗では以下のような構成で作られます。

院号】(お寺に貢献した際の功績としてつけられる)

道号】(あざな(字)みたいなもの)

【戒名】(仏弟子としての名前)

位号】(居士、大姉、信士、信女等)

戒名は本来2文字ですが、一般的にはこの構成をまとめて戒名と呼ばれております。

 

上記を踏まえたうえで、お気づきだとは思いますがまず1文字というのはありえないことですね。

投稿主様は金額がわからず5万円を包まれたそうですが、それに対しての戒名が1文字であった。

1文字5万円事件!!

その住職は何を思って1文字にしたのかわかりませんが同じ僧侶としてとても恥ずかしいばかりであり、投稿主様には大変申し訳無い気持ちになります。

 

戒名とは?

戒名というのは仏弟子としての名前になります。

 

戒名をいただくには授戒といい「戒法」というお釈迦様から代々続く正しく生きていく教えであったり、仏道を歩むうえで大切な教えを授かる、授ける儀式を行います。

「戒」とは〝戒め〟と書きます。

やってはいけないルールとか強制的にこれはダメという決まりではなくて、仏道修行を自ら進んで行おうとする仏様との約束になります。

曹洞宗では大きく16通りに戒を立てております、修証義の3章にかかれています。

戒を受けたことでお釈迦様のお弟子となり仏教徒としての証として「お血脈」をさずかります。

 

本来は生前に授かるものですが、布教が足りないがゆえに、現代では葬儀の際に授けるのが一般的になっております。

没後作僧(もつごさそう)

「亡くなった方をお坊さんにすることです。」

曹洞宗では亡くなったあとはお釈迦様の弟子として仏様として過ごされます。

そのためにお葬式では、剃髪(髪を剃る)授戒、懺悔などをして身心の大清浄によって四十九日を過ぎたあとは仏様となります。

 

戒名は自分でつけてもいいのか?

ネットを見ると「戒名は自分で考えてつけてもいい」という記事をよく見ますが、私の考えではそれは間違いになります。

上で書いた通り、戒名とは仏弟子としての名前になります。「戒法」をお釈迦様から代々受け継いできた住職によって授けられ戒名が与えられますので、自分で考えてつけるのはちょっと違うかなと思います。

人によっては「この文字を入れたい!」って方もいると思います、死後のことまで考えてることは悪いことではありませんが、自分でつけてしまうとそれは戒名ではなくニックネーム、あだ名みたいなものになってしまいます。

 

戒名の役割

人が亡くなると枕経へ向かい、その際に「生前どういった方だったのか」「職業は?」「趣味は?」と様々なことを親族の方にお尋ねします。

それをふまえ住職は戒名を考えます。

「牛」「馬」「畜」「革」などは差別戒名になるためつけてはいけません。

あとはただ酒好きだったから「酒」をいれる、サッカー得意だから「蹴」など単純な思いでつけることもございません

その先もっと深い意味を持って戒名は授けられます。

 

私はまだ副住職の身のため戒名を授けたことはないですが、法事やお墓参りに行く際に様々な戒名を見てきました。そのほとんどは私が知らない人ばかりです。なんなら家族でも顔を知ってる人は少ないのではないか?という先祖代々の戒名もあります。

それでも戒名を読めば「この人はたぶんこういう人だったんだな」とか生前のお名前を1文字取っていれば「もしかしたらこういう名前だったのかな?」と戒名からは様々な人柄を想像することができます。

道元禅師も戒名でないですが、「国師号」を当時の天皇より授かっております。

仏性伝当国師

仏道を中国より日本へ伝え、国の師として貢献した」

という捉え方ができます。

 

戒名とは住職1人で考えるものではなく、残された親族たちのご協力のもと考えられます。

周りの人が「この人はこういう人だった」「この人のここが好きだった」「こういうことを学んだ」といろいろな事が込められているのが戒名になります。

 

それに反して自分はこういう人だったから、自分はこの文字がいい、自分は、自分は、、と言うのは少し違うのかなと思います。

 

ダメと決めつけるのはできませんが、死後のことを考えるのではなく、今生きてることに、そして周りとの関係に一生懸命に過ごして、「この文字がほしい」というのなら生きている間にそれにふさわしい生き方をするのも1つの手だと思います。

 

戒名の在り方

戒名って絶対につけなきゃいけないの?と疑問に思われる方多いと思います。

なんなら今回みたいに1文字だけとかいわれたらそりゃつけたく無くなりますよね、、、

別に法律的に付けなきゃいけないなどはございませんので、つけたくない方、自分で考えたいなどは止めはしません。

ただそれでは「自分は死んだら戒名いらない」「自分はこの戒名つけよ」など結局は自分よがりになってしまいます。

戒名メーカーとやらも最近では出回ってるそうですね。

また僧侶を呼ばずに家族だけで行う。戒名は自分で考えた、メーカー使った。などという方もいと思いますが、ここまで読んでくれているのなら気づいてほしいですがそれは「戒名」とは言いません。

それはニックネーム、あだ名、好きな漢字を並べただけのものになります。

葬儀はお見送る人がどう思うかです。「自分はこうしたい!」と思っても残された方がそれをどう思うかを少しだけでも考えてみてください。

 

僧侶、お寺との付き合い

最近では本当に考え方が変わってきております。

お寺の付き合いも今の40代以降の方がいなくなってしまえば、なくなるのではないかな?とも思ったりもします。

お布施の恩金に関しても高い為払いたくない

戒名が無くてもいい

自分の子供、親などの葬儀はお坊さんを呼ばなくてもいい

お寺の付き合いはめんどくさい

などなど様々あると思います。

一部の僧侶の行いで宗派関係なく、世間での僧侶の見え方が悪くなり、お寺離れが起きております。

そのせいでネットの情報を鵜呑みにして間違った知識だけが世の中に広まり、余計に印象が悪くなってしまっております。

 

私も仏道を歩んでる身として、真面目かと言われると正直「はい」とは言えません。

お魚食べます。お肉食べます。お酒飲みます。恋をします。遊びます。いろいろと煩悩の塊と言われると何も言い返せません。

ですが、私はブログなどを通して皆様に仏教を発信できたら、もっと親しみを持って接してくれたらいいなと思っております。

 

菩提寺へいった際に

お寺の境内、庭の手入れが汚い、お墓が汚い!

お参りが雑な気がする!

など思ったらすぐに言うべきです。お檀家さんなら言う権利がございます!

ただ、粗探しをしようという気持ちでお寺参りしてはいけません。

御本尊を拝む、ご先祖様にお参りをするときにその考えは不要です。

三毒

「怒りによる負の感情、貪りによる煩悩、無知ゆえの妄想」

は仏教において障害になります。

そういったもの一切合切なければ僧侶とコミュニケーションをとり、よりよい人生が迎えれるかもしれません。

あと、お金の話にはなってしまいますが、お布施は基本的にお寺の護持、家庭の生活に使わさせていただいております。

一部の僧侶が高級車や時計ネックレスなどをチラつかせているのも事実です。

お布施の使われ方に疑問を抱くのも無理はありません。

これでは悪徳商法みたいなものですね、、、

周りの人に見られてるという自覚を今一度もって行動しなくてはいけません。

【威儀即仏法 作法是宗旨】を忘れずに!

 

ekyoosyomondou.hatenablog.jp

 

僧侶の在り方

改めて世間の評価を上げるということは大変難しいことであります。

お寺のやり方を変えなくてはいけないかもしれません。

布教が足りていない。

もっとお寺に親しみを持ってもらいたい。

皆が不安なときには支えになってあげたい。

そういった思いを持つ僧侶が現在何人いるのか!

今一度お寺の在り方というのを考えなくてはいけません。

またお寺を維持、修繕する際たくさんの費用が必要となってきます。お寺の中には何百年と建っており老朽化が進んでいるのも少なくはありません。

そのお布施を出してくれているのはお檀家さん、近所の皆様方、お参りに来てくれる皆さま方のおかげです。

皆様ありきのお寺なのです。

決して僧侶だけの持ち物ではないということを自覚しなくてはいけません。

最近は葬儀以外での収入が少ないお寺も多いと思います。

私のところも同じような状況なので葬儀がなければ月に収入が0のときもあります。

それでもお寺の維持、生活をしなくてはいけないのです。

 

寄り添いやすい寺院を維持できるよう精進していきましょう。

 

【威儀即仏法、作法是宗旨】礼儀正しい行動の重要性と効果

威儀即仏法、作法是宗旨

「威儀即仏法、作法是宗旨」(いいぎそくぶっぽう さほうこれしゅうし)

は、道元禅師の言葉です

「日常生活の身なりや立ち居振る舞いは全て仏の道であり、これが曹洞宗の教えである」という意味です。

道元禅師は日々の生活(掃除、食事、読経など)を細かく定めその大切さを説かれました。

私も永平寺にて修行していた際は一つ一つの作法が細かすぎて最初ころは大変苦労した覚えがあります。ですが、今思えばほとんどが当たり前のことで、今までの自分がいかにだらしなかったのかを実感させられました。

 

この言葉は、礼儀正しい行動や作法が仏法の実践であり、その目的であるという教えを示しています。何気ない一挙手一投足にも、仏法の教えが宿るという考え方は、私たちの日常生活における行動の重要性を教えてくれます。

礼儀正しい振る舞いは、他者への尊重や思いやりを表し、社会全体に良い影響を与えることが期待されます。

この言葉は、修行道場だけでなく、皆様の日常生活にも当てはまります。

 

威儀とは?

日常における威儀とは、以下のような行為です。

 

身なりを清潔にする

挨拶をする

ありがとうを言う

静かに歩く

列を守る

時間を守る

掃除をする

 

これらの当たり前のことを意識して生活することで、心が落ち着き、周りの人に優しくなれるということです。

 

上記のような威儀を意識することで、以下の効果が期待できます。

 

心が落ち着き、集中力が向上する

周囲の人との調和が生まれる

より充実した生活を送ることができる

(※個人差あります)

威儀即仏法を実践する方法

威儀即仏法を実践するには、以下の点に意識しましょう。

 一つの行動を丁寧に、心を込めて行う

 相手を尊重し、思いやりのある言動を心がける

 感謝の気持ちを持ち、日々の生活を楽しむ

 

まとめ

威儀即仏法は、在家の人にとっても、より良い人生を送るためのヒントとなる教えです。

日常の生活の中で、ぜひ威儀を意識して、心豊かに充実した生活を送ってください。

宮城旅行記:食べ物と仲間との充実した2日間

急ですが宮城に行ってきました!!

格安航空ピーチのキャンペーンで安くなっておりまして、これは行くしかないでしょ!ということで宮城へ行きました!(令和5年 11/14.15)

 

ということで仙台空港に到着してからは、地元の修行仲間と一緒に行動をしました!!

ありがたいことに車を出してくれました

大変感謝です🙏

 

まずは腹ごしらえ

【伊達の牛たん本舗】
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ここは外せないと言われたので、真っ先に行きました!!やはり宮城と言ったら牛タンですよね!

その中でも今回注文したのは

「芯たん定食」になります!タンの中でも柔らかい部位を使っているのでプリッとした歯ごたえ、噛むと脂がじゅわっと!大変美味しかったです。

 

次に訪れたのが

【御菓子処 賣茶翁】


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できたてのどら焼きが食べれるということでいただきました!!

柔らかいふわっとした生地に程よい甘さのあんこ

とても美味しかったです🙏

 

さて腹ごしらえも済んだことですので、観光をするため車を走らせること数分、、、

 

すっかりと辺も暗くなってきましたが松島に到着!

【松島海岸】

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そこから歩いたところには瑞巌寺がございます

瑞巌寺

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ライトアップがされており、提灯をお預かりして参拝できます。

途中音楽に合わせたイルミネーションもありとても綺麗でした!!

実際に自分の目で見ることを強くおすすめします!

 

【円通院】
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行った時期が丁度紅葉が盛んなときで、庭園にはきれいな紅葉達がお出迎えしてくれました。

最後には「鏡池」といい池には逆さま紅葉がきれいに映っておりました!

こればかりは実際に見ていただかないと感動を共感できません、、、

ぜひ足を運んでみてください!

 

2日目

さてまずは腹ごしらえです

【定義とうふ店】

美味しい厚揚げをいただきました!

【定義如来西方寺】

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【宮城峡蒸溜所】

やはり宮城と言ったらウイスキーですよね!!

寄りたくなってしまいました!寄りました!!!
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不酤酒戒、、、不酤酒戒、、、、

飲まれない程度に試飲しました🙏

美味しかったです

【らーめん堂・仙台っ子】


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ローカルラーメン店のようです!

豚骨醤油ベースでお好みのアレンジができるため大変美味しかったです!!

ケヤキ並木】
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【むかでや】
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ジョジョの聖地巡りはかかせませんね!!

【仙台駅】
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2日目にしてずんだシェイクをいただきました!

美味しかったです!

 

 

あっという間の2日間ではありましたが、大変充実した旅行になったと思います。

それも全て同じ修行をした仲間と一緒だったからこそなのかもしれません

本当にありがとうございました🙇

 

もし訪れる際はレンタカーを借りたほうがよろしいかもしれません。

思ったより電車では不便そうな場所がたくさんありましたので、参考程度にお願いいたします!

 

 

 

指導者に告ぐ!下の人への指導方法を変えよう!親しみを持って引っ張る

下の人を指導していると、どうしても意見が食い違う、やってくれない、話を聞かない、、、等色々と悩みがあると思います。

私も修行僧を指導していた時は何度もそういう経験がございました。

皆様が下積みをしていた時代と今の時代では受取り方というのがだいぶ変わっており、その時代に応じた指導の仕方をしなくてはいけません。

さて、ではどのように接すればいいのか、どのように指導をすればいいのかをお話したいと思います。

 

これは私が経験してきた上でのお話です。その場、その人によって捉え方は違いますので「頭の片隅にでも覚えていよ」くらいの気持ちでお読みください。

 

現代ではスマートフォン、パソコンなどが発達しているため調べごと等簡単にできてしまいます。

SNSYouTubeでは「ホリエモン」「オリラジ中田」「ひろゆき」などの意見を聞いて上司に歯向かってくる方が増えてきているような気もします。

ちょっとこちらが変なことを言えばすぐに論破してくることもあるのではないでしょうか?

実際にその言葉は間違っていたかもしれません

ですが、あなたの経験、その会社のやり方にそってその言葉を発したとなれば話は別です。

それをちゃんと相手にわかるように段階を踏んで説明する必要があります。

「会社では前からこのやり方だから!」

などと言ってしまえば相手は納得できずにイライラだけが残ってしまいます。

なぜこのやり方なのか説明できればよろしいですが、もしその説明ができなければ、、、それはあなたが悪いです。理由もわからず指導しているようではどちらもなんの利益にはなりません。あなたも相手もイライラするだけです。

指導するうえで大事なのは自分が行っていることを理解することです。それを相手に説明ができなれば理解したとはいいません。

新米の人は機械、用語、仕組み何もかもが初めてで覚えることがたくさんあります。どうしても理解するのに時間がかかってしまうものです。

あなたも初めはそうだったのではないでしょうか?いつしかできるようになり「なんでこんな事もできないのだ?」と言うようになってしまうのです。

それはただ経験を積んだだけであり、はじめから身につくものではないということを思い出してください。

 

また下の者の意見を聞くのも忘れてはいけません、なぜそのような意見を言ってくるのか、というところに着目してあげると、もしかしたらそのやり方のほうがいいのかもしれなかったりします。すると会社のためにもなりますし、その人の自信もつくようになります。

 

あとは会社のために!!早く覚えてほしい!!という気持ちが前に出すぎてどうしてもきつく当たってしまうときもあると思います。

その人にやる気がないという条件以外では、やっぱり覚える速度ってのは人それぞれなので「仕方ないよな」くらいの気持ちで接してみてはいかがでしょうか?

どうしても覚えの悪い子にはいかにサポートしてあげるか、自分の仕事も忙しいとは思いますがどれだけ下を見れるのかというのも上司にとって大事なことだと思います。

 

さてここからは部下との接し方です。

優秀な人はほっといてもうまくやってくれますが、やはり中には覚えの悪い子、やる気のない子はいると思います。

 

まず心のスタンスです。

働き蟻の法則

MicrosoftでもAppleでも)2割の優秀な人が業績の8割を残して、普通評価の6割がそれなりに働いて残りのやる気も能力も業績も上げられない2割の構図になる

 

①放っておく(放っておいても問題ない場合)

 

②そもそも本当に聴く耳を持たないのか、やる気はその子の中ではあるのにそう見えるだけなのか、もしやる気を持たないならばその原因はなんなのか探す。

上司が改善しやる気のスイッチを探る。

いわゆる一人一人対応を変えその子にあった指導方法を模索する。

 

(典型的やる気ない子には何でもかんでも指摘、命令しない。指摘するにしても先に褒める褒めてからただここはこうだったから次からこうできると良いね的な言い回しにも一つ一つき気を使って反応を見る。もう一つは些細なことでも褒めて成功体験させる。やりがい楽しみを与えやる気スイッチ入れる(上司がそいつのやる気スイッチを押す、探す、気付かせる)

 

③ ①②が無理なら

辞めてもらう

(雑談の流れとかで何で今の仕事始めたの??聴く→わからない、理由ない、流れではじめた→興味あること聴く→他の世界も色々あるからそっちの仕事やってみれば的な話に持って行き後押ししてる風で辞めさせる)

 

正直こんな事書いてますがとても難しいです。私ができているか?と言われるとできていないかもしれません

明石家さんまさんの言葉で

「人に腹立たたすやつってアホやと思う。

やっぱり人を怒らせるやつってアホ!」

腹は立たないの?

「立たない、立たない、腹を立てられる器でもない、そんなに偉くない、腹立って怒りたい人は、偉いと思ってるんやろ自分のこと」

と言っておりました

とても謙虚な姿勢です。上司になってもその心構え大事ですね。

 

仏教でも

【大衆一如】

という言葉があります

みんながみんな同じことをするという意味です

そこには上も下も関係ありません。

みんなが同じ目的を持ち同じように行動する、修行をする

どうか下のものを引っ張っていけるよう、同じ立場とは言いませんがもっと親しみを持って接してあげるのも1つの手かなと思います。